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沖縄のシンボル首里城

2018年7月20日

はいたい!めんそーれ沖縄♪♪
南国沖縄から贈るMarinChuブログ☆☆
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沖縄へ来ている際現金が足りないな~という時に、コンビニのATMを使った事がありますか?

万単位だとお目にかかる事はないですが…2000円札が出てきますね\(◎o◎)/!

二千円札は、西暦2000年の沖縄サミット開催を記念して発行(平成12年7月19日)されました。

そのデザインは、表面に沖縄を代表する首里城の「守礼の門」が採用されています。

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他の紙幣は人物なのに、2000円札だけ違うんですよ~!

 

首里城

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沖縄のシンボル首里城は、中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には高い文化的・歴史的な価値があるとされ、首里城跡は2000年12月に、日本で11番目の世界遺産として登録されました。

首里城は沖縄の歴史・文化を象徴する城であり、首里城の歴史は琉球王国の歴史そのものなんです。

琉球王国とは、今から約570年前(1429)に成立し、約120年前(1879)までの間、約450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国のことです。

今は沖縄県となっていますが、元々は1つの国だったということですね。

琉球では独自の国家的な一体化が進み、中国をはじめ日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して海洋王国へと発展し、首里城はその海洋王国の政治・経済・文化の中心だったといえます。

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首里城は小高い丘の上に立地し、曲線を描く城壁で取り囲まれ、その中に多くの施設が建てられている。

いくつもの広場があり、信仰上の聖地も存在しますが、この特徴は首里城に限られたものではなく、「ぐすく」と呼ばれる沖縄の城に共通する特徴なんです。

首里城は内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成していました。

正殿をはじめとする城内の各施設は東西の軸線に沿って配置されており、西を正面としていますが、西を正面とする点は首里城の持つ特徴の一つなんですよ!

中国や日本との長い交流の歴史があったため、首里城は随所に中国や日本の建築文化の影響を受けています。

ブログ用_180720_0119 ←こちらが正殿。

正殿や南殿、北殿はその代表的な例なんですって!

首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもあり、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて、王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点でもありました。

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また、首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍しており、首里城は文化芸術の中心でもあったのです。

1879年(明治12)、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後の首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われており、1930年代には大規模な修理が行われたが、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼しました。

戦後の跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、大学移転後に復元事業が推進され現在にいたります。

復元された現在の首里城は、18世紀以降をモデルとしており、2000年12月には、首里城跡が世界遺産に登録されました。

 

沖縄の世界遺産へ是非足を運んで下さい。

首里城は私2回行っていますが、もう1回行きたい場所です。